2008年9月2-3日の西濃豪雨水害-② |

2008年9月2-3日の西濃豪雨水害-②
(①から続く)
直前の8月末の愛知県での豪雨被害の所為か、西濃豪雨の報道は非常に少なく、同じ「西濃」にいても「よく分からない」状態。
水機構や国の「徳山ダムは役立ちました」宣伝情報は、まさに「宣伝」であって客観的な事実をきちんと伝えていない。
(右は9月4日の中日新聞西濃版に載った写真です)
旧藤橋村に住んでいる方が、以下のHPに、かなりリアルな情報を出して下さっています。
MIHARUの山歩き
http://miharu.pro.tok2.com/
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*局地的豪雨災害の復旧状況(旧久瀬村東津汲)をUPしました。完全復興にはまだほど遠いです(9月7日)。
*局地的豪雨の降水量データをUPしました(9月5日)。
*9月2日夕方から3日にかけて、揖斐谷を襲った局地的豪雨の状況を緊急にUPしました。旧藤橋村の様子、旧久瀬村の様子です。4日の新聞各紙朝刊には、1紙をのぞいて全く取り上げられていないのはどうしてか、合点がいきません(9月4日)。
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このHP管理人は、徳山ダム-横山ダムの流入/放流の解析もしてみる、とおっしゃっています。何かが見えてくることを期待しています。
それにしても、単純に「お金の使い方が違うのではないか?」という疑問は深まるばかりです。
04年度予算で(事業費増額の法的手続が間に合わなくて)、徳山ダム建設事業予算が当初予算では絶対的に不足した。04年7月15日に何とか手続を終えて、国交省がやったのは「治水特別会計の項の間の移用」という非常に珍しい手だった(違法とは言わないが極めて異例)。「移用」だから、削られた部分もある。牧田川・杭瀬川が揖斐川と合流する地点(直轄区間)の工事費は、半年遅れくらいで「保留解除」という形で復活しました。しかし、岐阜県への砂防費補助(事業費4億6000万円)は、とうとうその年度は削られたままになりました。つまり、当時の梶原さんが「徳山ダムが優先だ」と。砂防費事業を「差し出した」のです。これが今回の被害とどう関連するか、しないか、私には分かりません。しかしこのときの「「治水特別会計の項の間の移用」は、非常にはっきりと同じ川(揖斐川)の事業費-工事費でやりくりする、ということが出ていました(※)。
今回の西濃豪雨被害が、「徳山ダム建設を優先したために、危険箇所への対策が後手に回った」可能性は高い、と私は思っています。
※ 04年度の徳山ダム建設費を捻出するために国交省がやった「治水特別会計の項の間の移用」につき、「どこを削ったか」「保留解除(削られた事業費の復活)はどうなったか」「その復活した工事費の入札はどうだったか(非常に高い落札率だった)」をシツコク追及し、論考としてまとめてあります。多分、この手のことをここまでシツコク追跡した例はないと思います。
(この項終わり)