「水辺の祭祀」跡~荒尾南遺跡~ ① |
(09年3月22日追加記入
財団法人岐阜県教育文化財団文化財保護センター
サイト内
広報誌「きずな」 第54号 平成21年3月1日
に「荒尾南遺跡」のことが掲載されています)
11月11日夕刊と12日朝刊で各紙が採り上げた淀川水系「四府県知事合意」については前に述べた。
実はこの件でウェブ記事を検索していてヒョイと目に入ったのが以下である。
県内最大「水辺の祭祀」跡 荒尾南遺跡で大量土器(岐阜新聞)。
(中日新聞記事「荒尾南遺跡に河川跡確認」は危うく見逃すところだった)
「水辺の祭祀」跡は是非見たい、と見学会に参加した。
場所は大垣市の北西部。大垣市民だと「御首(みくび)神社 から東海道本線を渡って南のほう」というと分かりやすいかもしれない。
水害常襲地域「荒崎地区」の北東に隣接する地区ともいえる。
東海自動車道大垣西インターチェンジ予定地で、多くの人家が移転した後での、法に基づく発掘作業である。
現地説明会の主催は(財)岐阜県教育文化財団文化財保護センター。
今年の資料は今後HPに載せると言う。が、昨年、一昨年も行った説明会資料は今のところ載っていない。当日現地で配布されたもの。「H20.11.15荒尾南遺跡現地説明会」
弥生中期~古墳時代前半にかけての遺跡が多いらしい。稲作が広がり、沖積平野に人が住みつき始めた時代だろうと思う。
まさに「発掘調査の途中経過の現地説明会」であって、ケイタイデジカメで何かを伝えるのは無理。また、発掘したばかりで、発掘されたものの研究調査は「これから」。調査員にあれこれの疑問をぶつけてもよく分からないことが多い。
「全体図」の紫色の部分が「水の流れていたところ」で、右(東)側の紫色の縦のスジは人工的な灌漑施設「大溝」(これは昨年までに発掘確認されていた)。左(西)側の湾曲しているところが今年度に発掘された河川跡である。
(続く)