雪の徳山ダム |
20日、あるグループ(東濃地方)に招かれて、いわゆるジャンボタクシーに乗って、徳山ダムに行った。
前の晩から「山沿いは雪」の天気予報。別件で電話をした、ある知人方「危ない、やめたほう良い」と。私は、自分で車を運転しないので、危ないのかどうか、実感もない。20日朝は、大垣では、薄曇り、というところ。
「トンネルを越えたら雪だった」
トンネルを出て、旧久瀬村に入ったら、道に雪が残っている。
横山ダムの湖岸に行くと、道の雪が深くなってくる。鶴見付近ではさらに深い。
たまたま前をチェーンを付けて観光バスがいて、その後ろについて走ることに。
11時頃、徳山ダム堤体位置に到着。天端は約30cmの雪が積もっていた(徳山ダム管理所の職員は「昨晩9時頃降り出しが、午前2時で2~3cmだった。今朝連絡を受けたら『30cmの積雪』ということで慌てて除雪車を手配した」と。帰路に下からの除雪車とすれ違った)。これだけ雪のある徳山ダムを見る機会は少ないだろうから、貴重な体験かもしれない。
そのうちに雪は降り止んで薄日も射してきた。
徳山会館は、電話に誰も応答しないので、行くのをやめた。
その分、ふじはし「道の駅」にある「徳山村民俗資料収蔵庫」を見る時間がとれた。(写真中央は「国産初の水力発電機」…屋外展示されている。揖斐川の電力開発の歴史は古い)
多くの興味深いものがあったが、大きな木(直径1m?)からでなければ出来ない木製品が数多くあったのが印象深い。
徳山村には大木を数多く抱く森があった。そうした森があって、人が暮らした。
「塩さえあれば暮らせる」。
伝統の暮らしの技術をもつ人は(今でも)言う。しかし、その暮らしの技術は、喪われようとしている-まさに「絶滅危惧」-。
豊かさ、便利さを求めて、ひた走ってきた百数十年、特にここ半世紀。
人は、本当に豊かさを手に入れたか?「便利さ」を追求して、人は本当に幸せになったか?
姥坂を下るときには、すっかり晴れていた。周囲の山の頂近くを薄く覆う雪だけが、徳山ダムサイトの雪が幻ではないことを証明してくれていた。