番外の番外 |
車窓から
近江・安土山の麓。田植えの準備で水が張られた水田。

緑の伊吹山南面。


ウチの「雑草」-外来種?
幼い頃、東京に一面にこの花の咲く原っぱがあった。子どもだと全身が隠れてしまう。
それが面白くてよく遊んだ。後にその場所は、地下鉄丸の内線の操車場になった。
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2009年 05月 03日
番外の番外
車窓から 近江・安土山の麓。田植えの準備で水が張られた水田。 ![]() 緑の伊吹山南面。 ![]() ![]() ウチの「雑草」-外来種? 幼い頃、東京に一面にこの花の咲く原っぱがあった。子どもだと全身が隠れてしまう。 それが面白くてよく遊んだ。後にその場所は、地下鉄丸の内線の操車場になった。 #
by tokuyamadam
| 2009-05-03 01:21
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2009年 05月 03日
番外編 同志は斃れぬ-時代・世代・闘い
5月2日、大阪の知人の急逝の報に接し、なんとか告別式に間に合うように駆け付けた。 大阪府門真の戸田ひさよし氏の「ちょいマジ掲示板」から - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 連帯ユニオン近畿地本・副執行委員長の川村賢市さんが、昨4/29(水)の午前中、出先のスポーツセンターで突然、脳幹損傷を起こして危篤状態になり、天王寺区の警察病院に緊急入院し、本日4/30(木)の早朝4:57分に亡くなった。享年61才。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ![]() 天理教での告別式であったのは、少し意外だった。(「四拍手」という天理教のお祈りの仕方を、何故か私は知っている。正座して礼をするときの指のつきかたも) 会場は小さかったが、隣の公園と一体化した建物で、公園はたくさんの参列者であふれた。 ![]() 少なくとも故人を追悼するために集まるその日の天候についてだけは、天は味方をしたのだろう。 この時期、「ご冥福をお祈りします」「安らかにお休み下さい」という気持ちにはなれない。 香典とともに、以下の文をおいてきた。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 同志・川村憲市さんに捧ぐ~ 同志は斃れぬ、闘いはこれから ~ 川村憲市さん、あなたの訃報に接して、頭をよぎったのは、「同志は斃れぬ」という言葉でした。 川村憲市さんは、「闘いの先頭に立つ闘士」として常に勇ましく、また「共に闘う同志」として心から信頼できる人でした。 川村さんの不屈の精神は、必ずや、多くの仲間に引き継がれることでしょう。そして、川村さんが志半ばにして斃れたことそのものが、また、より多くの人々を奮い立たせるでしょう。 私たちは、真の平和と公正を全世界に広げるべく、闘い続けます。 闘って闘って、あなたの志の軌跡を追っていきます。次の世代に引き継げるような闘いを懸命に創っていきます。 同志・川村憲市さん、あなたの存在の思い出が、私たちを励まし続けます。私は「安らかにお休み下さい」とは言いません。どうか、千の風となって、これからも、常に私たちの闘いの場に共に居て下さい。 2009年5月2日 近藤ゆり子 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 出棺のときに流された曲は、故人が好きだったという網走番外地の主題歌だった。 この曲が流行った 「1960年代末から70年代はじめという時代」 -多分「新網走番外地」シリーズが若者に浸透した頃-。 川村さんと私は、空間としても立場としても、全く異なる場に居た … それぞれの場で「あの時代」を共有していたのだ、という思いが込み上げてきた。 「あの時代」の、一日一日、一刻一刻は、今も鮮やかに蘇る。 誰もまともに「総括」を言葉にしきれていない。 多くの過ちがあった、犠牲もあった-非業の死もあった-。 それでも「あの時代」を懸命に走ったことを、私は誇りに思う。 歴史の検証にさらされる時のために、なにがしかの手掛かりを遺しておきたいと願っている(同世代の訃報に接することが多くなった。残された作業時間は多くない)。 <090509追記> 戸田ひさよし氏の弔辞(戸田氏のブログから) ◆「反戦平和・階級的労働運動の情熱の闘士」川村さんへの戸田の弔辞。(5/2告別式) 戸田氏も<今、労働者民衆に害悪を与える政治経済が続く中、「安らかにお眠り下さい」と川村さんに言うことは出来ません。>と述べた。 同志川村! プレセンテ! - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ![]() 小なりといえども一級河川。大阪府知事指定区間らしい。 ![]() 右は、大今里橋から撮影したもの。 水面にゴミが浮かぶ。 かすかではあるがドブの臭いがする。 (名古屋の堀川と同じ) 淀川本川 JR大阪駅-新大阪駅の間の車窓から ![]() #
by tokuyamadam
| 2009-05-03 00:55
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2009年 05月 01日
4月29日 徳山ダム 初の観光放流
4月29日の午前中に、共通のMLに参加している知人から投稿があった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 寝ぼけながら聞いた今朝のラジオで,「連休中に何度か観光客へのサービス?で徳山ダムの水を放流する」という話をききました。「虹ができてきれいでしょうね」などとコメントしていました。丁度一年前,試験放流で揖斐川のアユに大きな影響があったのを思い出しました。岐阜のみなさん,色々な情報を集めてください。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 知らなかった。 早速徳山ダム管理所のHPを見ると、4月20日付けの発表が載っていた。 徳山ダム観光放流を実施します 曰く「洪水吐きからの放流はなかなかご覧になれませんので、この機会に是非お越しください。」 んんん、これは一般市民向け、なかなかアトラクティブ。 実際、洪水期に入ってしまうと、普段は水位を下げておく。「洪水調節機能」がたっぷりないと困るからだ。そうなると「強烈な降雨で徳山ダムの洪水調節容量1億トンが満杯になるとき」以外には洪水吐きからの放流はない。そんなオソロシイときにあの山奥のダムを見物に行く観光客はいないから、「洪水吐きからの放流はなかなかご覧になれません」。そりゃそうだ。 徳山ダム観光放流の実施について これは完全にマスコミ向け。「取材しろよ」ということ。 でもってバッチリと写真付きで記事になった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ☆中日新聞 岐阜県版 2009年4月30日 徳山ダムで初の観光放流 水面に美しいウロコ模様 ![]() 【写真】観光放流が開始され、きれいなうろこ模様を描き出す徳山ダム=揖斐川町で、本社ヘリ「あさづる」から ウチに配布された中日新聞の見出しは GWに巨大”こいのぼり” PDFファイル版 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - この「美しき模様」を出すためのゲート操作には、随分な工夫と苦心があったことだろう。 かつて昔、ダム(管理)技術者は、「ダムによる洪水調節を目一杯行って下流を水害から守るため」に、職人芸を磨いた。今のほど気象予測の技術もない時代、大雨に対して「勘」を働かせて、ダム操作規程をあえて無視して、前もって多くの予備放流を行ったり、但し書き放流をぎりぎりまで延ばしたりした(両方とも「違反行為」である。場合によっては処分を受ける。それどころか、もし水害被害が問題になれば、「トカゲの尻尾」として確実にクビが飛ぶ)。 今のダム(管理)技術者は、「美しい模様を作るため」に職人芸を磨いているようである(「美しき模様」は、多分、手動ではなく、「観光放流のための模様づくりゲート操作プログラミング」の賜だろう)。 ☆ 岐阜新聞 2009年04月30日 徳山ダム、迫力の水しぶき 観光放流始まる ![]() 【写真】洪水吐きから観光放流される様子に見入る観光客ら=揖斐郡揖斐川町、徳山ダム ☆ 読売新聞 2009年4月30日 徳山ダムで初 観光放流 / 5月2~5日にも1日3回 ![]() 【写真】観光放流を見守る観光客ら ☆ 毎日新聞 2009年4月30日 1面 ![]() 22面岐阜・徳山ダム:観光放流開始 きれいだ…でも、こみ上げる怒り 旧村民の思い複雑 ![]() 【写真】徳山ダムを眺める長屋昭二さん=岐阜県揖斐川町の徳山会館で29日、竹内幹撮影 PDFファイル版 (2枚) 。。。。。。。。。。 「美しい」… だが喜べない。 何のためのダムなのか? 何のために徳山の人たちは村を去り、ふるさとを湖底に沈めることを容認したのか。 年に一度、GWのときに観光客が喜ぶ壮大な見せ物を演出するためなのか。 このダムを作ろうとした人たちよ、「答えておくれ」。 #
by tokuyamadam
| 2009-05-01 00:13
| 現在の徳山ダム問題
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2009年 04月 30日
河川法改正と淀川水系流域委員会-木曽川水系流域住民としての雑感-⑧
~ それでも1997年河川法改正の意義は活きている ~ 1995年に、ダム等審議委員会に際して、反対運動のハの字もない徳山ダムを対象するとの報に接したとき、私は「長良川河口堰反対運動」で耳にしていた「頑迷固陋な河川官僚」「政・財・官の利権癒着/鉄の三角形」というのとは、異なる「印象」をもった(これは決して「河川官僚はよく話が分かる」とか「ダムに利権など全くない、官僚は一人残らず清廉潔白だ」などと強弁しているわけではない。もし私にそう言われたら、河川官僚さん達、ムズムズとこそばゆくて困ることだろう)。 1996年6月、名古屋市本山の生協会館で、建設省中部地方建設局河川調査官のK氏の「河川審答申と河川法改正の方向(演題は正確には記憶していない)」を聞き、さらに散会後に、K氏に直接「住民意見を聴く際にはバックデータも示すのですよね」と訊いた。K氏少し逡巡したが、きっぱりと「バックデータもお示しします」と答えた。まだ情報公開法もない時代である。管理する文書を、一般市民に提示するかどうかは、その役所の裁量にかかっていた、その時期だ。私はK氏の一瞬の躊躇いと、明確な首肯を素直に受け取った。 「素直に受け取った」ということは、「必ずそうなるだろうと思った」ということではない。 K氏やその他の河川官僚さん達が「善意」で河川法改正を行ったとしても、そうそう簡単に「住民意見の反映」などとは参らないことは、まさに「いい歳をして」分からないはずもない。 「住民意見の反映」と言っても、住民意見も「いろいろ」。それをどう汲み上げるのかは、「間接民主制を原則とする」システムとの整合も含めて、難しい問題を孕んでいる(※)。 ※ 「間接民主制/議会議員が住民意見のすべてを体現している」で切って捨てるわけにはいかないことは、すでに明らかではあった。「ワンイシューの重要争点には直接民主制要素も採り入れるべき」ということの具体化として、「御嵩町巨大産廃処分場住民投票」に向けて、岐阜県の多くの市民とともに、可能な限りの力は尽くした、という自負はある。 → 1997年岐阜県知事選と御嵩町住民投票の成功 ◇ ◇ 木曽川水系では、1997年改正河川法は蹂躙された。 あれだけの年月・エネルギー・中味の濃い議論・経費をかけた淀川水系河川整備計画策定の全課程(主要に淀川水系流域委員会)も、「きれいなお手本・模範」とはならなかった。 それでも、私は「虚しい」とか「河川法改正の意義は無かった」とは思っていない。 判決としては負けっ放しの徳山ダム裁判を闘って、それまでの「判決としては負けっ放し」の長良川河口堰や水害裁判のもつ意味・意義・重みを少しは理解した。 ものごとは表面に出た「成果」だけでは測れない、とまさに「アラカン(around 還暦)」となって今一度思う。 若い時にそのセリフを聞いたら「負け続けた年寄りの独善・強がり」と感じたことだろう。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ![]() 水温む … じゃなかった。 深井戸からの湧き水で、ほぼ1年を通じて一定の水温。 この井戸のあるミニ公園の隣のお菓子屋さんのご主人は、法律の所為で、このような生(き)の湧き水が、お菓子の製造に使えないことを残念がっている。 「水の都」のお菓子や豆腐に、塩素入りの水道水は似合わない。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 身近な人を何人か見送った。 アラカン(around 還暦)なのだから、平均余命でいっても、人生の70%以上は通り過ぎてしまっている。 人の生命は一つ一つ尊い。 だが人一人の一生で、一つの命で出来る事は限られている。 先人から何かしらの志を引き継ぎ、次世代に繋げてナンボである。 ◇ ◇ 1997年河川法改正からすでに12年。今の様(さま)を憂いて、「河川法再改正」という声もある。 しかし、私は「改正河川法はまだ十分に使われていない」と考えている。 改正を言うより、今の河川法を十分に活かすことが先だ、と。 どんなに立派な条文を作っても、流域住民が、自覚的に川に関わらずに「お上=河川管理者任せ」にするなら、画餅にすぎない。 1997年改正河川法は、私たち市民一人一人の「不断の努力によつて(憲法12条前段から)」活かしていくしかないのだ、と改めて思う。 (了) #
by tokuyamadam
| 2009-04-30 01:26
| 淀川水系関係
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2009年 04月 29日
河川法改正と淀川水系流域委員会-木曽川水系流域住民としての雑感-⑦
~ 木曽川水系河川整備計画策定から導水路問題の運動へ~ 木曽川水系流域委員会発足(2007.3.13)は、徳山ダムの堤体盛り立て完了の既成事実の上で、かつ「反動化」の流れ(2005年秋以降、顕著。法定されていないWGにすぎない「河川整備基本方針検討小委員会(近藤徹委員長)」が、事実上、河川法16条及び16条の2の上に座って差配する、という法治国家にあるまじき現象が猛威をふるう)の中で発足した。 当会としては、2007年3月7日の、国土交通省中部地方整備局の「木曽川木曽川水系流域委員会開催」発表を受けて、 ★ 2007年3月8日 抗議声明 「木曽川水系流域委員会」設置は、1997年河川法改正趣旨を蹂躙するものだ を発し、無視を決め込むことにした(2005年~2006年にかけての木曽川水系河川整備計画策定を巡る国交省中部地整河川部との水面上下のさまざまなやりとりについては、別の機会に)。 しかし結局のところ「木曽川水系連絡導水路-上流分割案-(=長良川に徳山ダムの水を流す)などというトンデモ案を示されてしまったので、無視もできないことになった。 ★ 2007年8月21日抗議声明 ドサクサ紛れの無駄な公共事業「2導水路併設」案は認められない 『導水路併設』案を木曽川水系河川整備計画に入れ込むことは、1997年河川法改正趣旨を破壊するものだ 以後、木曽川水系流域委員会に「徳山ダムをやめさせる会」として、及び近藤ゆり子個人として、しつこく意見書を出すことになる。 木曽川水系流域委員会http://www.kisosansen-plan.jp/ >>関係住民の皆さんから意見をお聞きしました http://www.kisosansen-plan.jp/kako/kako_jyumin.html 第7回 ~ 第10回 また公聴会の公述人にも(応募して)なった。 >>木曽川水系河川整備計画(原案)公聴会における速記録 岐阜会場 【公述人5】 9頁~ 以後の運動は、 長良川市民学習会 導水路はいらない!愛知の会 へと引き継がれることになる。 木曽川水系河川整備計画策定に対しては ★ 2008年3月29日 声明 「木曽川水系河川整備計画」策定を憂う を出した。1997年河川法改正のきっかけでもあった「木曽川水系」において、河川法改正趣旨は蹂躙された。 ◇ ◇ (続く。 あと1回くらいで終わるから我慢してね) ![]() ウチの壁面・新緑 #
by tokuyamadam
| 2009-04-29 00:26
| 淀川水系関係
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